オヤジ弁当のススメ
料理好きオヤジのお弁当を中心にしたブログです。
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2014-06-18 11:11 |
カテゴリ:アートのススメ

2014年6月15日まで開催されていた。
”リ・クリエイトと言う試み”
今回のフェルメール展は全て印刷画である。つまり、真作は一つも展示されていない。しかし、フェルメールの書いた当時の色彩を今のコンピュータの技術で蘇らせると言う試みである。
例えばフェルメールブルーと呼ばれる天然ウルトラマリンの青。今でも真作でかなり透明度の高い鮮やかな色彩を放っているが、実際には長年の経年劣化で退色してしまっている。これを蘇らせ、フェルメールの描いた当時の色彩で作品を見てみようと言う展示会である。

フェルメールブルーの代表作“青いターバンの女(真珠の耳飾りの少女)”
”絵画を鑑賞する意味とは?”
僕はフェルメールの真作を何点か見たことがある。勿論、美術展での展示である。その印象と比べると、何だか色々を塗り替えた真作のフェイクのようにしか感じなかった。
勿論、科学的にも美術的にもそれぞれの専門家が検証し再生させた結果が展示されているのだが、それでもその結果には共感を表す事が出来なかった。
僕が真作を見た時、驚いたのは絵の中に入れられているハイライトの力強さ。ハイライトとは絵の中に入れられている光の焦点の事で、白が主に使われる。
このハイライトの入れ方が実に光明で、画面全体を引き締め、緊張感のある作品に仕上げられていた。
そこに僕はフェルメールの光に対する聡明な解釈を見て驚いたのだが、今回の“リ・クリエイト作品“からその部分を感じ取る事が出来なかったのが残念で仕方が無い。
絵の解釈とは見た人、それぞれによって違った解釈がなされて当然だとは思うが。

盗難による壊滅的損壊を受けた”恋文”もリ・クリエイト。
”残念だったリ・クリエイト。。。”
現存するとされるフェルメール作品、全37点を全て“リ・クリエイト”し展示されているのは圧巻で、勿論、見どころはあるとは思うのだが、それでも、やはり、キャンバスに印刷されたフェイク群であり、僕には絵画の迫力は感じ取る事すら出来なかった。印刷以外の方法でもう少し、絵画としての質感をもリ・クリエイトしておいて欲しかった。

盗難中の作品もオリジナルに近い形で観られたのは収穫だったが。。。
フェルメール 光の王国展in NAGOYA(終了)
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2014-06-08 11:11 |
カテゴリ:アートのススメ

荒木経惟写真展
アラーキー事、荒木経惟さんの写真を若い頃は、理解、出来ないでいた。
なんだか、生々しいばかりで、週刊誌のグラビアページの猥雑さをいたずらに体現して見せているようで、ある意味、汚しさすら感じていた。
それがいつの頃だろう、荒木さんの写真に魅力を感じるようになったのは。
かつてあった月刊誌「噂の真相」の定期購読者だった僕。
その雑誌で連載されていた荒木さんの写真日記「包茎亭日常」を愛読するようになった頃だろうか?
生々しいモノクロ写真に冗談とも何とも言えない文がそえられたその日記は「噂の真相」の名物グラビア連載で、荒木さんの日常が写真と供に綴られていた。
その日記を毎月、読むうちに、荒木さんの狂気の果ての凡人さに気づくようになったのかもしれない。
名鉄、豊田市駅から歩いて10分程。
小高い丘の上に豊田市美術館はある。
美術館に入るまでの坂は、勾配がキツく、ちょっとしたピクニック気分になってしまう。
牧歌的な丘の街をのんびり抜けるとモダンな美術館。
その日常を区切ってしまった美術館の空間に荒木さんの日常が飾られている。

日常から遮断されたような豊田市美術館の庭。使徒ではない。
僕が生まれた40年以上前の昭和の東京。
まだ、戦後の匂いが微かに残る街の子供たちの笑顔、銀座の街を行く大人達の顔から写真展がはじまる。
荒木さんのフォトグラフィーとも言える活動年代順に写真は展示され、かつて「噂の真相」への掲載で、論争となり盟友、篠山紀信さんと絶交のきっかけとなった愛妻、陽子さんの死顏写真、その悲しみから立ち直る為に撮り続けた「空」の写真など、「噂の真相」で見ていたグラビアページの小さな写真達がパネルで展示されていた。
そうやって順を追ってみてゆくと、一度もお会いした事のない荒木さんと、思い出話に耽っているような気分になる。
荒木さんは多分、普通の人だ。
いや、今の普通の人が普通でなくなった時代にいる普通の人だ。
ややこしい書き方だけど、普通で無くなった今の普通の人は感情も時間やお金に換算してしまう。
でも、普通のままの普通の荒木さんは、悲しむ事、喜ぶ事をちゃんとやっている。
だから、愛猫チロが老衰でパサパサの毛並みになってしまってもチロの写真を撮り続ける。悲しむ事を自分で受け入れるから、写真が撮れるのだ。
猫好きには堪らなく目を背けなくなる痩せ細ったチロ、チロの遺骨の写真は、普通でなくなった普通の人たちには、不遜だと怒り出す写真かも知れないが。

豊田市美術館へ続く坂道と空景
怒る事、笑う事、悲しむ事、喜ぶ事、泣く事、はしゃぐ事。
そんな普通の思いが荒木さんの写真にはある。僕が子供の頃、荒木さんの写真が嫌いだったのは、そんな感情を写真の中に見てしまったからなのかも知れない。
写真展の最後近くに空のスライドを集めたインスタレーションがある。
定点でなく、ただ、日常に見える空を撮った写真達。
いつか見た空ようであり、明日の空のように見える。
当たり前に普通に空は変わっていく。
荒木経惟 往生写集 顔・空景・道 豊田市美術館 〜2014.6.29まで
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2014-05-30 11:11 |
カテゴリ:アートのススメ

伊藤若冲 付喪神図
2チャンあたりではパラレルワールドやUFOといった“不思議ばなし”の掲示板が一杯たっている。
怖いもの見たさと言うのだろうか?
不思議な世界に対する人の興味は、自分がこの世に生を受けた事と同じく深い感心ごとの一つのようだ。
異世界、異形の生物、人は自分がいる世界以外の世界に恐れおののきながら知りたがる。

円山応挙 幽霊図
まだ、ネットワークが無かった世界ではそれは本によって書かれていた。
文字、絵と言う、もっとも原始的な表現手段で異形の世界をレポートしていた。
江戸時代やそれ以前の時代にはそうやって異世界を表現していたのだ。
今回のこの特別展はそんな異形の生物たちを一堂に介した特別展である。
怖いと言うよりも美しい丸山応挙の“幽霊図”、ユーモラスで漫画のような楽しさがある伊藤若冲の“付喪神図”、猫の騙し絵で有名な歌川芳藤の五十三次之内 猫之怪”、作者不詳ながら勇壮な“大江山酒呑童子”など、異形の生物達が数百匹以上、博物館内に蠢ている。
正に「博物館がお化け屋敷になる」、ユニークな展示会。
かといって遊園地のお化け屋敷のような、こけおどしはないので安心して異形の生物達と戯れる事が出来る楽しいお化け屋敷なのである。

作者不詳 大江山酒呑童子
怖い見たさはいつの時代も同じなのだろう。それが見た後、後悔してしまうような物であっても、人の興味は尽きる事はない。
それが今の2チャンの数々の“不思議スレッド”に現れている。
怖い話、不思議な体験。
それらは、日常を当たり前に過ごす僕らの刺激を与えてくれるカンフル剤のような物かもしれない。

歌川芳藤 五十三次之内 猫之怪
しかし、一時のカンフル剤よりは、人が異形の生物=妖怪たちと戯れて暮らす世界が存在感するとしたら、それは数字ばかりに追われる具体的な世界より豊かな世界なのだ。
なぜらら「空想上の生き物」と呼ばれる妖怪たちではあるが、描かれた妖怪達は皆、表情が僕らより豊かで生き生きとしている。
名古屋市博物館「幽霊・妖怪画大全集」公式ホームページ 2014.7.13まで
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2014-05-23 11:11 |
カテゴリ:アートのススメ

仕組まれた子供たち。。。
1993年に公開された“機動警察パトレイバー 2 the Movie”において、その映像は「実写を越えた」と評価されたものである。
まるで高品質で撮られた写真をアニメーションに投影したかの背景映像は、アニメーションの枠を大きくはみ出しs>圧倒的なリアリティをもってスクリーンに衝撃を残したものである。
それから、14年後の2007年に“新劇場版エヴァンゲリヲン 序”は公開される。
手書きのアニメーションが主流だった1997年からCGの技術も大きく進化したアニメーションの映像は、正にカメラがアニメーションの世界に入り込んでしまったかのような錯覚を覚える映像であった。
バーチャルな感覚に近いものなのだろう。その映像は“観る”と言う行為より、“体験する”と言う立体的な行為に近づいた気がした。

碇ゲンドウが会場に導いてくれた。
今回の“エヴァンゲリオン展”では、その製作の過程をセル画や生原稿の初公開をもって展示する企画である。
「エヴァンゲリオンの世界のみを立体的に見れる!」と期待した方には肩透かしを食らう内容かもしれない。
しかし、緻密に描かれた背景画や指一本の動きにさえ細かな動きをつけた原画の数々は、エヴァンゲリオンの世界、そのものであった。
数秒もかからず流れてしまう一コマ一コマは、観客が見逃してしまうであろう細部にまで書き込まれている。この構築こそがエヴァンゲリオンの世界であり、バーチャルな感覚を観客に感じさえた要因なのだろう。
勿論、聖書の秘密に準じるような謎めいたストーリー展開も魅力な物語ではある。しかし、そのストーリーの創作を説得力を持って観客に観せる為には、リアリティのある画面から構築せねばならなかったのだ。
その創作の過程は素人の想像をはるかに越えている。それは現実の再構築だと言っても過言ではないだろう。その再構築された世界は最早、人の手によって作られた現実であろう。
日本で公開されるアニメーション映画の全てが、こう言ったリアル思考の作品ばかりではないだろう。
それでもエヴァンゲリオンが開いたリアリティを越える作品が映画作品として公開される事を、映画ファンとして望んで止まないと同時に、新劇場版、最終章への期待が高まるばかりであった。
“エヴァンゲリオン展@松坂屋 名古屋”(2014.5.20で終了)
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