オヤジ弁当のススメ
料理好きオヤジのお弁当を中心にしたブログです。
2014-06-21 11:11 |
カテゴリ:読書のススメ

新進気鋭の女性エッセイストによる最新ユーミン論!
“もてないブラザーズ”
かつて1990年代、ウッチャンナンチャンのウリナリと言う番組で、内村光良と勝俣州和と言う、もてないとされていた人気芸能人二人が、もてる為にピアノを1から練習して弾けるようになる事で、モテようとする企画コーナーがあった。人気番組だったので、視聴者だった方も多いだろう。
その企画でユーミンのコンサートに彼らが出演すると言う企画だった。
課題曲は「春よ、来い」。
結果は、お世辞にも「上手い!」とは言えないまでも、何とか弾ける程度の演奏で出演を果たし、大きな感動を全国に巻き起こす。何週にも渡って彼らの練習風景は番組でレポートされ、その結果、彼らがユーミンのバックをつとめられたと言うストーリーに、日本中が酔ったバラエティー番組の1コーナーがあった。

感動の渦をよんだウリナリの一場面
“ユーミンの救済”
ユーミンの論評は数多ある。
聴いた人の数だけのストーリーが、ユーミンソングには出来るワケだから、批評家でなくともユーミン論は出来るワケだし、それがポップスと言うモノの宿命だろう。で、あるならば、この本の著者、酒井順子さんの論評も数多の一つではないか?
しかし、彼女が優れていたのは「ユーミンの歌は女の業の肯定である。」と言い切ってしまった点にある。彼女の友人は「ユーミンは、救ってくれすぎたんですよ。」と彼女にいったと言う。どんな悲惨な彼氏との別れも退屈過ぎる仕事への鬱憤も、ユーミンは「自分だけではないのだ。」と思わせてくれる「共感」を歌にしてくれたのだと。
それはユーミンの歌が誰にでも当てはまるだけの普遍性を常に持っていた事を意味する。僕はそれを「100万人のユーミンが全国にいる。」と言った事がある。どんなに状況が違おうが、ユーミンだけは分かっていてくれると言う共同幻想を抱かせる力がユーミンの歌にはあるのだ。
それがこそが、ユーミンが40年以上、トップでいられた理由である。
そんな理由を個人的な理由を含めて検証し「女の業」だと結論づける本書は、強引に名著である。
と言うか、強引だからこそ書けた本だろう。男の僕にはとても書けない。
それでも著者の友達が言った「ユーミンは救ってくれすぎた」と言う言葉はよくわかる気がする。

ユーミン究極のオールタイムベストアルバム。このタイトルは伊達ではない。
冒頭に書いた“もてないブラザーズ”。
ステージに上がる前、大緊張でガタガタに震える二人の人気タレントが映し出されていた。武道館で一万人の客を相手にするのである。しかも、彼等のお得意のコントではなく楽器演奏。
舞台裏は緊迫していた。
白いタキシード姿のウッチャンと勝俣。何度も深呼吸をするウッチャンの横で、勝俣が両手を握り祈るように何度もつぶやく。
「ユーミンは味方だ。」
その後、ステージに上がった二人は大喝采を浴び、演奏を成功させた。
ユーミンは女性も助けて来たのだろうが、実はもてない男も救ってくれていたのだ。
![]() | ユーミンの罪 (講談社現代新書) (2013/11/15) 酒井 順子 商品詳細を見る |
Keep On Cookin'
ポチッと押して!



にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
スポンサーサイト
2014-06-20 11:11 |
カテゴリ:読書のススメ

名著「立ちそば大全」 今柊二著 コミカルな表紙が楽しい
立ち喰い蕎麦の思い出。。。
僕が高校生の頃、小腹が空いたと欠食気味の僕らが腹空かして飛び込んで行ったのは、駅中の立ち喰い蕎麦屋だった。
ファーストフードも今ほど普及しておらず、あってもまだまだ、高額に感じたし、コンビニエンスストアなんて今のように乱立してはいなかった時代である。
500円で百円以上のお釣りが来て、家に着くまでの間の中継ぎに、学校帰りは名鉄東岡崎だの知立のプラットホームで空腹を満たしたものだ。
この本「立そば大全」にはそんな時代を思い出させてくれるような、全国の駅中、あるいは駅周辺の立ち喰い蕎麦屋が80店舗以上、紹介されている。
大半が東京都内のお店である。そして同じように安価で蕎麦やうどんを提供しているのにも関わらず、店によって個性があるのが面白い。
生の白玉麺を使う店、冷凍麺を使う店。出汁も店によっては自前でとったかえしを使ったりと本格的な蕎麦屋さながらの店さえある。
昔は立ち喰い蕎麦屋を腹の足し程度にして考えてはいなかったが、こうやってそれぞれ一件、一件の立ち喰い店を検証されると“されど立ち喰い蕎麦屋!”と言う気持ちになる。立ち喰い蕎麦屋のオバちゃんにも、料理職人魂があったのだと。立ち喰い蕎麦屋ファンの僕としては嬉しい話ではないか。
絶滅の危機な立ち喰い駅蕎麦
今、僕の住む愛知県で駅そばは絶滅の危機である。
コンビニエンスやファーストフードチェーン店にことごとく駆逐されてしまっている。確かに、鉄道会社としてはそちらの方が利益率も売り上げもよいのだろう。女性の社会進出が盛んになり、立ち喰い店には女性一人で入りづらい現状も影響していると考えられる。ファーストフードやコンビニならば女性客でも気軽に利用する事ができる。
しかし、やはり、駅のプラットホームに漂う鰹節の効いた醤油汁の香しい香りがしないのは寂しいと感じてしまう。夕暮れの帰宅時間、受験補講を終え、小腹を空かしまくって帰る駅のプラットフォームで、誘い水を撒かれたあの香りは哀愁の香りだったのだ。
そして、僕は友達数人と小銭を握りしめ駅蕎麦の暖簾をくぐったものだ。
そして啜った蕎麦の味。
上等な蕎麦の小気味好い二八の味には程遠い、チープな小麦粉の香りがする蕎麦。それでも、欠食児童さながらに腹を空かせた僕等を満たしてくれていた。
アレから30年。
名鉄東岡崎の駅も知立の駅といった僕の通学コース。駅毎あったあの店は殺風景な待合室やエレベーターになり変わっている。
![]() | 立ちそば大全 (2010/03/20) 今 柊二 商品詳細を見る |
Keep On Cookin'
ポチッと押して!



にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
2014-06-14 11:11 |
カテゴリ:読書のススメ

すきやばし次郎の鮨が表紙
とある鮨職人の理由
昔ながらのやり方と言うのがある。
戦前位までの仕事の仕方を多くは指す。
これは今のように、何でも金さえ出せば手に入る世の中になる前の、道理のような話だった。
食べ物の作り方にもその道理はあって、味噌汁を作るのにも今のように出汁入り味噌なんて物は存在しなかった訳だから、味噌は自前で出汁も毎日、主婦が鰹節を削り水を煮立てて出汁をとっていた。
それは味噌汁を食べるための当たり前の道理であったのだ。
家庭の食事ですらそんな道理を貫いていたのだから、プロの料理職人はプロの道理を仕事とし料理を提供していた。
例えば、江戸前の寿司は東京湾で採れる魚介類を遜色のない状態で寿司に握り提供していたのが、戦後、急激に近代開発され工業地帯として開発される前の寿司屋さんだった。
それは江戸前の寿司屋さんの道理である。
この本の主となる東京、銀座数寄屋橋の名店、すきやばし次郎。今ではアメリカの大統領どのが一国の首相と会談会食する程の名店である。
しかし、1997年に単行本が刊行されたこの本を読んでいると、そんな名高級が高級店でないように思えてくる。
すきやばし次郎の寿司はネタ、シャリ共に隅々まで小野次郎さんのこだわりがある事が知られている。そして、それに見合う技術を生かすための日本各地の最高の魚介類を使い、値段も「20分、三万円」と言われる程、最高級の値段だったりする。それでも店主である小野次郎さんの話を読むにつけ、一般的に言われる「高級店のこだわり」を感じないのである。
例えば、トリ貝。
昔、昭和四十五年から五十年前半のトリ貝は「大きいのは一・五センチほどの厚みがあって、それでいてふわふわしていて、まるで絨毯みたいでした。」と次郎さんが忘れられない逸品だった。
しかし、今ではもう、そんなトリ貝は採れなくて、買えなくなってしまった。そこで今(出筆当時)では、渥美半島のトリ貝を常用するようになったそうだ。「柔らかくて甘みが強い」渥美半島産のトリ貝を。
コレは果たして、「こだわり」なのだろうか?
「自分の知っている最上級に近いネタ。その眼鏡に叶う物。それを探していたら、世の中のネタの値段がつり上がっちまった。」
そう次郎さんが自重気味に笑う姿が見えるような話ではないか。
寿司職人が魚介類を最高に美味い状態で握る事。それは寿司職人の当たり前の道理なのである。
そうやって読んでみると、この本は“すきやばし次郎のこだわりを書いた本ではなく、食べ物を作るため、食べるための道理を教えてくれる本ではないだろうか?
食べ物を、食材を最高な状態で提供し、頂く事を道理だとして解く一冊。
つまりは、こだわりなんてぇ、みみっちい話なんかじゃなく、当たり前の道理だっぇ事。
それは鮨職人の不器用すぎる生き方でもある。
僕はビンボーだから次郎さんのお鮨は食べられないだろうが、僕はすきやばし次郎の話が大好きだ。
![]() | すきやばし次郎 旬を握る (文春文庫) (2001/09) 里見 真三 商品詳細を見る |
Keep On Cookin'
ポチッと押して!



にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
2014-06-12 11:11 |
カテゴリ:読書のススメ

古い本を紹介します。
食の文化史 大塚滋 中公新書 417
ちょっと前に知り合いと話した事がある。
それは「日本人はいつから食肉をするようになったか?」と言う話である。
僕と知り合いの見解は一致した。
「明治維新を境に牛肉を食べ出し、それ以降、食肉の文化が始まったのではないか?」と言う事だ。この話に異論がある人は、恐らく居ないと思う。それ以前、江戸時代だと猪、鹿くらいしか思い浮かばない。
だから、日本人の食肉文化は浅いのではないか?と言う結論に達した。
それから数週間後、ぶらりと寄った古本屋の店先。
お決まりの100円コーナーで僕は興味深いタイトルの本を見つけた。
タイトルはズバリ、「食の文化史」。
随分、古い新書本である。パラリとページを捲る。
目次で飛び込んできた章別の小見出し。曰く、
食肉の文化史
肉食と残酷、原始と食肉、切支丹と食肉、文明開化と牛肉
先日の知り合いとの論議の教科書みたいな本である。
奥付をみると昭和50年刊行とある。
1975年刊行。古い本だか中身は興味深い。しかも、100円。
買うしかない本なのである。
読んでみると面白い事が分かった。
日本人の食肉は意外にも古く、原始時代から始まっているのだそうだ。
しかも、食べていたのは、鹿、猪は勿論の事、熊、兎、狸、そして猿、などなど。これも意外で多岐に渡っている。
これを立証しているのは貝塚か出土する骨。前途した獣の骨が出土するのだそうだ。
では、なぜ、日本人は其れ程、食べていた食肉を止めてしまったのだろう?
それはなんと政治であった。
「壬申の乱」に勝った天武天皇が仏教の教えを徹底、布教する為、食肉を禁ずる勅令を出したのだ。
日本人とはなんと従順な民族なんだろう?
それはともかく、日本人は政治によって食肉の文化を捨てたのであった。
なんと言うのか、拍子抜けするような話だ。
しかし、この本にはそんな日本の食文化と海外の食文化を比較考現した本であり、世界の食文化の概略を知るにはうってつけの一冊だった。
40年も前の本だから情報が古い分は否めないが、女性の社会進出による料理作業の簡略化や既製食品への依存の恐れなど、今の社会を予見するような内容も書かれ、なかなか、興味深い一冊であった。
それにつけても、必要な情報とは向こうから飛び込んでくるんだと、実感した次第。
古本屋の店先の100円コーナーは情報の宝庫である。
![]() | 食の文化史 (中公新書 (417)) (1975/12) 大塚 滋 商品詳細を見る |
Keep On Cookin'
ポチッと押して!



にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村
2014-06-06 11:11 |
カテゴリ:読書のススメ

魚料理のサイエンス 成瀬宇平著 新潮文庫
僕のブログやフェイスブックの書き込みをご覧になっている方はご存知であろうが、僕の料理は魚が中心である。
理由は肉が得意でないからと言う理由である。
だからといって肉が嫌いな訳ではない。得意でないだけなのだ。焼肉に行った後、必ずお腹を壊したり、肉の良し悪しがわからないので、どうしても魚料理が中心になってしまう。
そんな魚好きな僕にはうってつけの一冊を見つけたので読んでみた。
著者の成瀬宇平さんは医学博士。
だから、栄養学に基づいた魚料理の科学的な検証が行われている。
例えば、今、旬の浅蜊。
こいつの汁物には独特の旨味がある。
コクのあるアッサリとした旨味。
この旨味の秘密を栄養学的見地で検証してくれている。その種明かしをすると浅蜊の身肉に含まれるコハク酸が独特な旨味の秘密だそうだ。
そんな具合に僕らが日常に口にするお馴染みの魚介類について一つ一つ検証されていて、魚嫌いな方にも魚に興味を持つようになってもらえるだろう。
また、文体も平易で読みやすく、一種、7ページ程にその特性、代表的な調理の検証などがまとめられていて、興味のある種類毎、辞書替わりに抜き読みするのも便利だ。
この文庫版の解説はテレビや多くの料理本でお馴染みの日本料理「分とく山」総料理長 野崎洋光さん。
野崎さんが成瀬さんの教え子だったと言う事が語られ、それにも驚いたが、野崎さんの革新的な調理方法が成瀬さんの科学的な検証からイマジネーションを得て創作されていると言う話も面白いエピソードだ。
料理人が技術的な知識だけに頼らず、学術的な論理にヒントを得て新たなレシピを開発するなんて、あんまり聞いたことがない。日本料理は特に鮮度や旬と言った時候を大切にする料理なので、学識よりも経験や鍛錬によってレシピが開発されるとばかり思っていたが。
僕も秋刀魚の骨までしゃぶり尽くす勢いで、この本で勉強せねば。
![]() | 魚料理のサイエンス (新潮文庫) (2013/12/24) 成瀬 宇平 商品詳細を見る |
Keep On Cookin'
ポチッと押して!



にほんブログ村

にほんブログ村

にほんブログ村